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本庄古墳群

本庄古墳群

下長塚の写真
第29号墳 下長塚

国富町の本庄台地に分布する古墳群、4世紀後半から6世紀にかけての古墳群で、昔から本庄四十八塚と呼ばれてきました。
町の中心部にある本庄台地上を中心に、東は宮王丸、西は飯盛にかけて分布しており、台地上に散在する丘地はほとんど古墳とみなされています。
1934年(昭和9)、前方後円墳17基、円墳37基、横穴2基、地下式横穴墓1基の57基が本庄古墳群として史跡に指定されました。
土を持った高塚式古墳と南九州特有の地下式横穴墓が一緒にあるということが、この古墳群の大きな特色です。
古墳時代は久迩止美比古命(くにとみひきのみこと:景行天皇の孫)の孫にあたる地方豪族牛諸井(うしもろい)が諸県君(もろかたのきみ)として、現在の諸県群一帯を支配していましたが、本庄古墳群はその諸県君の歴代の墓として造られたものとも考えられています。

観音山塚の写真
第13号墳 観音山塚

また、現存する18基の前方後円墳の中には、六日町の上山塚、観音山塚、東ノ原の東銚子塚、西銚子塚など70mを超す柄鏡形の前方後円墳や玉依姫陵墓伝説をもつ藤岡山東陵古墳、あるいは義門寺の鎧塚、北神ノ原の剣柄神社の建つ剣塚、十日町の轡(くつわ)塚など出土遺物に由来する名称をとどめた古墳もあります。
しかし学術調査による発掘で全容の確認されたものはなく、本庄古墳群の実態は必ずしも明確ではありません。
街並み自体が古墳群の中に発展してきているだけに、絶えず周囲を削り取られ墳丘の原形をとどめるものが少ないのも実情です。

  • 国指定史跡
  • 【昭和9年8月9日 指定】
  • 所在地:国富町本庄台地

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